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病気の子どもたちの人生の糧となる場所「そらぷちキッズキャンプ」が照らすもの

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病気の子どもたちの人生の糧となる場所「そらぷちキッズキャンプ」が照らすもの
目次

    JR札幌駅から特急でおよそ1時間。北海道の滝川市に「そらぷちキッズキャンプ」という施設があります。
    そらぷちキッズキャンプは、日本で唯一の「病気とたたかう子どもたち」に向けた常設のキャンプ場。施設は多くの協力者からの寄付と、医療従事者をはじめとしたたくさんのボランティアスタッフによって運営されています。
    私たちCBC株式会社は、大原薬品工業株式会社様、サンライフ株式会社様と運営している「大原小児がん基金」を通して同施設を支援、難病とたたかう子どもたちと、その保護者の生活をサポートしています。
    「そらぷち」とは、アイヌ語で「滝下る川」という意味。その名前の通り自然豊かな土地にあるそらぷちキッズキャンプを、CBC取材チームで訪問しました。

     

    子どもたちの「やりたい」に「できない」といいたくない

    日本には、20万人以上の難病とたたかう子どもたちがいると言われています。
    小児がんや心臓病など、症状はそれぞれですが、彼ら・彼女たちが抱く夢のひとつが「外で遊ぶこと」です。常に自分の体と病気へのケアが求められている子どもたち。太陽の光のなかで屋外を走り回り、息が切れるまで遊んでいる友達を横目に見ながら感じる、「自分は同じように遊べない」ことの辛さは、想像に難くありません。
    「そらぷちキッズキャンプ(以下、そらぷち)」は、そんな病気とたたかう子どもたちのためのキャンプ場です。
    公式サイト:公益財団法人そらぷちキッズキャンプ (solaputi.jp)

     

    soraputi_1-1 北海道・滝川市の大自然の中に作られた敷地面積約16ヘクタールのこのキャンプ場は、食堂や宿泊施設を持つだけでなく、施設内に「森のほけんしつ」と名付けられた診療スペースを完備。宿泊中の子どもたちは、必要に応じて医師や看護師による医療ケアを受けながら、キャンプ場内で様々なアクティビティを楽しむことができます。
    soraputi_1-2 例えば、夏期に行われている「キッズキャンプ」は、約20人が参加する「子どもたちだけ」のキャンププログラム。参加する子どもたちはそれぞれの親元を離れ、自分と同じく病気とたたかう友だちにキャンプ場で出会い、ともに3泊4日の時間を過ごします。

    親と一緒に時間を過ごすことが当たり前の子どもたちにとって、初めて行く場所で、家族から離れて滞在するキャンプは「初体験」だらけの場所。自然と触れ合ったり、大きな木が生えている森で遊んだり、時には乗馬を体験したり……と、さながら林間学校のような様子になることもあるといいます。
    soraputi_1-3 キャンプの期間中、子どもたちが自分の病気や治療のことを気にせず遊ぶことができるようにサポートするのは、ボランティアの医師や看護師をはじめとした約40人のサポートスタッフ。キャンプの3カ月前から参加する子どもたち一人ひとりの保護者と施設のスタッフが打ち合わせを重ね、当人の症状や体調に応じた受け入れ体制を整えるそう。
    soraputi_1-4 「キャンプ中は、キャンパー(キャンプに参加している子どもたちのこと)がやりたいと思ったことに対して『できないよ』とは可能な限り言わないようにしています。それが彼らの体のことを考えれば難しくても、『どうやったらできるか』をがんばって考えたい。そして、『できたこと』が彼らの人生のためになると思うんです」

    そう話すのは、施設をご案内いただいたそらぷちキッズキャンプ事務局長の佐々木健一郎さん。佐々木さんいわく、過去にはキャンプ場内にあるツリーハウスに車椅子で入り、ハウスと谷を挟んだ対岸までジップライン(※)で移動する、という大冒険をしたキャンパーもいたとのこと。そこで「やってみたら、できた」経験が、彼らの自信につながるのです。
    soraputi_1-5 そして、子どもたちがキャンプに参加している3泊4日の時間は、子どもたちだけでなく、彼らの家族にとっても欠かすことのできない時間になります。

    子どもの体調へ常に気を配り、24時間彼ら、彼女たちをサポートしなければいけない両親は、闘病生活中のつかの間のリフレッシュに。闘病中の子に対するケアが必要なあまり、普段は親に甘えることができないきょうだいにとっては、親とゆっくりと時間を過ごす機会に。数日間のキャンプが救うのは、闘病中の子どもたちだけではないのです。

          

    18年間の活動で広げていった、「そらぷち」の輪

    そらぷちキッズキャンプ立ち上げに向けた取り組みがスタートしたのは、2000年頃のこと。
    現在の「公益財団法人そらぷちキッズキャンプ」の前身である、「そらぷちキッズキャンプを創る会」ができたのが2004年。その母体となったのが、現在の「そらぷち」理事を務める細谷亮太先生ら3名の医師による「スマートムンストンキャンプ」運営チームと、当時の国土交通省審議官である故・松本守さんによるバリアフリーの公園を作るプロジェクトの運営チームでした。
    元から病気の子どもたちに向けたキャンプイベントを運営していた細谷先生らと、同じく病気の子どもたちに向けた常設のキャンプ場を作ろうとしていた松本さんらのチーム。同じ目的にそれぞれの方法からアプローチしていた2つのチームが1つになり、「創る会」が結成。スマートムンストンキャンプにも参加しており、日本小児がん学会で「キャンプを中心にした子どものQOL(生活の質)向上」の重要性を発信していた故・横山清七医師を会長として、活動が本格的にスタートしました。

    soraputi_3-3 2004年以降は定期的にキャンプを開催しながら施設の協力者を増やし続け、大きな転機が訪れたのが2010年。より多くの支援を受け、施設をより充実させ活動を広げていくために、「そらぷち」は「公益財団法人そらぷちキッズキャンプ」になりました。その後も、施設や運営組織を拡充させながら、病気の子どもたちとそれを支える家族に必要なキャンププログラムを展開し続け、今年で18年目の施設になります。

    18年間、施設の管理やキャンプの運営は、様々な支援者からの寄付やボランティアによって行われてきました。キャンプ中の医療ケアは有志の医師や看護師が。施設の保全・維持は地元・滝川市の住民の手を借りて行われるなど、「そらぷち」を中心に生まれた多くの人との関わりの中で、施設が守られ、発展しているのです。
    soraputi_2-2 「そらぷち」の歴史のなかで、過去のキャンプに参加経験があり、成人した「元キャンパー」も少しずつ増えてきています。

    昨年は、2005年のキャンプ参加者が臨床心理士の資格を取り、「そらぷち」の運営スタッフとして施設に戻ってくるといううれしいサプライズも。「そらぷち」を中心に生まれた輪が「そらぷち」を守り、キャンパーやそれぞれの道を歩く「元キャンパー」の人生を照らしているのです。

    インタビュー:皆で時間を共有し「自分だけじゃない」と思ってほしい

    キャンプ場を見学したあとは、そらぷちキッズキャンプのこれまでの歩みと取り組みについて、理事の細谷亮太先生にお話を伺いました。

    ー細谷先生は「そらぷちキッズキャンプ」ができる前から、病気とたたかう子どもたちに向けたキャンプ場を作る取り組みをされていると伺いました。先生ご自身のどういった思いがあり、この活動に携わるようになったのでしょうか。

    細谷先生
    細谷先生

    ー「病気の子どもたちのためのキャンプ施設を作る」というのは世界的に行われている取り組みで、もともとはアメリカでスタートしたものです。 その元祖が、俳優のポール・ニューマン(※)が、食品製造の事業で培った私財を投じて作った「ホール・イン・ザ・ウォール・ギャング・キャンプ」。病気の子どもたちは、普段の生活の中でも「できること」が制限されていて、外で満足に遊ぶことなんて難しいですよね。「ホール・イン・ザ・ウォール・ギャング・キャンプ」は、そんな子どもたちが好きに遊べる環境を作る取り組みで、これが現地で大成功するんですよ。 私はアメリカ留学中にたまたまそのキャンプに足を運んで、病気の子どもたちが生き生きと遊ぶ様子をみて、これは素晴らしい試みだ、と思いました。そして同じくキャンプに感動した身近な医師と協力して、国内のキャンププロジェクトを立ち上げました。それが、私が「そらぷち」の前に取り組んでいた「スマートムンストンキャンプ」です。

    ー「そらぷち」のような病児向けキャンプ場は、病気の子どもたちの生活の中で、どういった役割を果たせるのでしょうか。

    細谷先生
    細谷先生

    ー病気の子どもというのは、人と違った生活を強いられていて、その悩みを友だちと共有することも難しい。言ってしまえば、マイノリティな存在です。 病気ということに引け目を感じ、対等な立場で友だちとお話をすることができなくて、悩んでしまうこともたくさんあるでしょう。そんなマイノリティである彼らが他者とその悩みを共有できず、「一人ひとり、別々で悩む」ことしかできないのが、とても残念でもったいないと思ったんですよね。 そういう子どもたちにキャンプに集まってもらって、同じ境遇の仲間たちと悩みを打ち明け合うことができれば、「マイノリティで、辛い思いをしているのは自分だけじゃない」ということをわかってもらえるかもしれませんよね。 闘病生活は、とにかく大変なことがたくさんあります。強い薬を飲んで気持ち悪くなったり、「これから先、どれだけ生きられるだろう」という気持ちを常に抱えている子もいたりする。そんな中でも、辛い思いをしているのが自分だけじゃなくて、似た環境下でも前向きに生きている人がいる、と気づくことがとても大事なんですよね。

    ーそれが病気とたたかう子どもたちの、心の支えになるんですね。

    ー残念なことですが、悩みを共有しても闘病生活が楽になることはありません。ひとりでがんばらなければいけないことは間違いない。でも、「自分だけじゃない」というのが力になるんだと思います。 定期的にキャンプに来ることで、参加者に「キャンプに来れば会える友達」ができることもあります。そして、そういう繋がりができたら「去年は来ていた友達が亡くなってしまって、会えなかった」ということも、残念ですが起きることもある。そういうときは「黙祷しよう」と、皆でその友達のための時間を作ることもあります。 友だちと深く関わることで、改めて「生きている」ということを強く実感する瞬間が増えるんです。これは、友だち同士で深い時間をともに過ごす、キャンプだからできることだと思います。

    「子どもと家族を助ける輪」を、そらぷちから広げていく

    —お話を伺っていて、子どもたちだけでなく、彼らをケアする家族も違った大変さを感じているのでは、と思いました。

    細谷先生
    細谷先生

    ーそうですね。子どもたちのご両親は、1日のうちでかなりの時間を子どもの看護のために使っていて、自分のためにゆっくり過ごす時間なんてほとんど無いような状況だと思います。 以前に、寝たきりの子どもを持つ一家が、ご家族でファミリーキャンプに来てくれたことがありました。日常的な外出すらままならないので、「家族揃ってお出かけに行ったことがない」、「外出するときも、公共の交通機関を利用したことがない」という生活なのだそうです。 ある家族のお母さんは、「普通は1+1は2だけど、私たち家族はずっとゼロだった」とおっしゃっていました。なかなか他の人を頼ることもできませんし、それくらいご家族はご家族で孤独を感じているんです。

    ー家族も、子どもたちとはまた違った「マイノリティー」なんですね。

    細谷先生
    細谷先生

    ーそういったご家族をキャンプに招くときは、施設側だけでなく、いろいろな方の協力が必要です。東京から北海道に来るときは、飛行機に乗りますよね。そのご家族にあわせた特別な対応が必要なときは、「そらぷち」のスタッフが航空会社と連絡をとり、協力して家族を北海道まで送り届ける準備をするんですよ。 例えば、体が不自由でベッドごとトイレに行かなければいけない子であれば、「空港の大きなトイレの場所をあらかじめ伝えておく」とか。それだけでなく「大きなトイレがある搭乗ゲートの近くに、これから乗る飛行機を停めよう」とか「横になったまま乗れるよう、飛行機内で十分なスペースを確保しよう」とか。

    ー家族のために、関係者が総出になってサポート体制を整えていくんですね。

    細谷先生
    細谷先生

    ー個人でここまでの協力を仰ぐのはどうしても難しいことかもしれません。でも、困っている家族がいて、それを我々のような法人がサポートをしている状況であれば、航空会社さんも手を差し伸べやすくなるんだと思うんです。そうやって家族をサポートする人が増えていけば、次に協力をお願いする人も「助けてあげないと」という気持ちになりますよね。 実際に「ずっとゼロだった」とおっしゃっていたお母さんは、多くの人の協力してもらったことにとても感動なさって、航空会社さんにお礼状を書かれたそうです。こうやって「自分は孤独じゃない」と思えたことが、その後の生活の中で支えになるのだと思います。

    キャンプでの経験が、かけがえのない人生の糧になる

    ー今日は施設全体を見学させていただいて、北海道の自然のスケールにとても驚きました。子どもたちも、ここで過ごす時間で特別な思い出ができそうですね。

    細谷先生
    細谷先生

    ーそうですね。キャンプで数日間生活すると、来たときと帰るときで、子どもたちの目の輝きが違うんですよ。 「そらぷち」では、施設内にテレビや、子どもたちが使えるパソコンの類を一切置いていません。これは「雑音がない場所で楽しんでほしい」という私たちの気持ちもあるのですが、実際にキャンプ場で夢中になって遊んでいると「よその人とつながる」ことを忘れてしまうんですよね。皆が鳥の声や風の音、一緒に生活している仲間の声へ大事に耳を傾けながら生活することになるので、都会とは違った時間を過ごせるんです。 キャンプが終わってそれぞれの家に帰ったら、また辛い闘病生活がはじまってしまうのですが……。ここで経験したことが、彼ら、彼女たちにとってかけがえのない人生の糧になるのだと思います。

    ーキャンプ中の子どもたちは、どのような様子なのでしょう?

    細谷先生
    細谷先生

    ーそれはもう、皆キラキラした目で楽しそうに過ごしていますよ。以前に体にストーマ(人工肛門、人工膀胱)のある子どもたちだけを集めたキャンプをそらぷちでやったときの話は特に印象的で。 ストーマとは、消化器や尿管を手術で取り除いた人が、お腹に新しく作る排泄口のことです。そこから出る排泄物を貯めておくために、お腹に専用の袋を付けていることがほとんどなのですが……子どもたちはそのせいで、「友だちと一緒にお風呂に入る」経験ができないんですよ。 しかし、その場にいる全員にストーマがついているなら、堂々と裸になれますよね。袋をぷかぷか湯船に浮かばせながら、子どもたちが気持ちよさそうにお風呂に入っているんです。それを想像しただけでも痛快じゃないですか。

    ー素敵ですね。皆が大笑いしながらお風呂に入っている様子が目に浮かびます。

    細谷先生
    細谷先生

    ーそれを実際に見た小児科の先生も、「これは壮観ですね!」と驚いていらっしゃったそうです。 修学旅行や銭湯で、皆で一緒にお風呂に入るという経験は日本特有のものです。でも最近はコロナの影響で修学旅行や林間学校がなくなり、そういった経験ができない子どもたちも増えていると聞きます。コロナ禍がいつ収束するかはわからないのですが……そらぷちとしても、そういった経験ができる場を少しでも増やしていきたいです。

    ー最後に、今後のそらぷちキッズキャンプの目標や、ご活動の展望を教えてください。

    細谷先生
    細谷先生

    ー病気の子どもたちがいる限り、キャンプ場のような、彼らに向けた活動やずっと続いていかなければいけないものです。そらぷちキッズキャンプも継続的に活動していきたいのですが、この取り組みがはじまってもうすぐ20年になるので、理事である私や事務局長の佐々木さんも少しずつ歳を取ってきてしまっているんですよ。 しかしありがたいことに、活動を長く続ければ、我々の目標に共感して、協力してくださる方が少しずつ増えていきます。これまでの活動も、皆さんに支えられた20年でした。今後もキャンプを継続させながら、そういった支えてくださる方との繋がりを増やしていきたいと思っています。

    そらぷちキッズキャンプでの経験が、子どもたちと将来を照らす

    見学中にお話を伺って印象的だったのが、そらぷちにキャンパーとしてやって来た子どもたちの「その後」のことでした。
    細谷先生いわく、病気とたたかう子どもたちは、その生活の中で「人のためになるような仕事に就きたい」という夢を持つようになることが多いのだとか。そして10年後にはその夢を本当に叶え、院内学級の先生や看護師になって、そらぷちのスタッフに報告してくれるのだそうです。
    子どもたちの闘病生活と、彼ら、彼女たちの将来を優しく照らすそらぷちキッズキャンプ。キャンプ場で特別な経験をした子どもたちの人生は、明るく希望に満ちたものになるはずです。

    筆者/編集

    細谷 亮太(ほそや りょうた)さん 1948年山形県生まれ。東北大学医学部卒、現在は聖路加病院小児科に勤務。 公益財団法人そらぷちキッズキャンプ代表理事。専門は小児がん、小児のターミナルケア。 著書に『医者が泣くということ』(KADOKAWA)、『今、伝えたい「いのちの言葉」』(佼成出版社)など多数。 俳人としての顔も持ち、俳号は「細谷喨々」。

    筆者/編集

    そらぷちキッズキャンプが北海道テレビでも紹介されています。

    HTB(北海道テレビ放送)公式YouTube
    難病を乗り越え…つかんだ夢 北海道滝川市
    病気と闘う子どもたちのためのキャンプ場『そらぷちキッズキャンプ』

    編纂・撮影

    取材・文=伊藤 駿/写真=小牧寿里/編集=ノオト

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